直感の行動も、必ず理由がある

「理由付けは後でもいいんじゃないかな」と最近は思っています。

あるクライアントさんの話です。
その方は今ちょうど自分で仕事を作っていきたいなと考えておられるんですね。

もともとは、色々な方から相談を受けて、話を聞いてあげるだけで、その結果、「勇気が持てた」とか「なんか元気になりました」「ちょっと前向きにやってみようと思います」っていうように言われる、ということなんですね。

その方がやっていることって何かというと、普通にただ相手が言っていることを
「うんうん、そうなの?大丈夫?」と聞いてあげているだけなんだそうです。

だからご自身でははっきりと価値が見いだせていなくて
「何をやってるのかさっぱりわかってないのに、喜ばれてる」
「なんとなく自分にはそういうことが向いているのかなぁと思います」
みたいな感じで話をされたんですけども…

話を聞いていると、まさにそれ、やっていることって完全にコーチングだなという風に思いまして。

それだったら、話を聞いてきちんと目的を汲み取ってあげるコーチングを勉強するといいですよね、という話をして。
実際にその方もコーチングをやるために、実際に勉強されている状態なんですね。


ただ、それと平行で、色々と情報を収集していくと
別のものも気になってしまうんだそうです。

例えば、何かモノをつくってみたりとか
あるいは全く違うサロン系の仕事をしてみたいとか
そういう風な、一見方向が違うようなものが見えてくると。

「じゃあ、実際にどれをしたいんでしょうね」って聞いてみると
「でもどれも感情としてはやりたい」ということだったんです。


で、その方が気にされていたのは
「自分の軸がまだ見えてないのに、そんなにいろんなものを拾っていっても大丈夫なのかな」ということだったんです。

確かに、まだ何かで大成していないにもかかわらず、
他のものが気になってしまうというのは
本当にいいことなのか…。

迷ってしまいそうですよね。


でも、よくよく話を聞いてみると、
実は全てに筋が通っていたんです。

「物を作ってそれを見せてあげると心が洗われるんじゃないか」
「サロンの仕事をすることで体が元気になってもらえるんじゃないか」
というふうに、実は全部相手の元気づけだったり勇気づけだったり、
そういった感情の源泉があった、というのが分かってきたわけです。

そうなのであれば、一個にこだわって同じことをする必要はなくて、
自分の中で「人を元気にしたい」「励ましたい」という感情が
もし一本筋が通って見えるんであれば
どんなことをしても構わないと思うんです。


一見、後付の理由に見えるかもしれないんですが、
やっぱり自分の中できちんと納得をさせる
っていうのは結構重要で。

「コーチをすることで勇気づけているんだ」
「このものを作って見せてあげることで勇気づけているんだ」
「サロンワークをすることで相手を癒してあげて、元気な体で行動すれば、自然とワクワクしてもらえるんだ」

というように、すべてにおいて自分の目的を見出し、その筋にきちんと一本線を通すことができると、別に全然違うことをやってても何ら迷うことはないわけです。


副業、複線でいろいろ仕事をされるのもいいのですが
やっぱりなんだかんだ話を聞いたり見ていったりすると
その裏には一本筋が通っている人の方が
うまくいっている印象があります。

そういう意味では、
後付けでもなんでも構わないんですよ。

きちんとそこに筋が通るというか
自分の中で筋を通せると、自分の心が決まるので。

自分の心がぶれなければ
行動が一貫性を帯びてくるわけです。

例えば自分のなかに「人を励ましてあげたいんだ」という目的があった。

であれば、Aさんには〇〇っていう答えを出してあげて
Bさんにはまた別の××って答え方をしたけど、
どっちも「その人への勇気づけ」で筋を通すために
違うこと言ったんだよっていうことであれば
どちらも大切な行動なんじゃないかと。


感覚的な話になってしまったんですが、
まあ、こういうこともありますね。

とりあえず、自分の軌跡として残しておきます。

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